始末書を求められた

始末書といっても、いろいろな意味合いがある場合があります。一般的には、何らかの問題が生じた場合に、それがあなたが何らかの形でかかわっていて、それが問題発生の原因でもあるようなときには、懲戒処分としての始末書と考えられるでしょう。そうした際には、反省の意を示せ、とか、謝罪文をかけ、などと指示されることが往々にしてあります。

始末書の提出は懲戒処分か?

もし始末書の提出が懲戒処分であるとすれば、例えば上司からいきなり始末書を書け、などと言われたとしても、そもそも上司に懲戒処分の権限があるのか、懲戒処分をするための減額な手続きを踏んだのか、という点が問題となります。

上司からいきなり、こんなミスをするとはけしからん、始末書を書け、などと指示された場合、これは懲戒処分ではなく、事実関係の報告書であり、いわば顛末書であると考えるべきでしょう。

しかしこうした判断をあなた自身でしてしまうのではなく、必ず始末書の提出を指示した上司本人に、懲戒処分かどうかの確認をすることが重要と考えます。もしここで、懲戒処分である、などと言われた場合には、懲戒処分の問題として、全く異なる対応を考えなければなりません。

その場合には、問題の事実関係を淡々と記述すれば十分で、それに対して反省の意が見られない、とか改心したとは思えない、などと言われたとしても、あなた自身の気持ちに反する内容を書く必要はありません。それが、上司による嫌がらせの意図が見え隠れするような場合にはなおさらでしょう。

それでも反省の意は書くべきか

始末書が懲戒処分によるものではなく、上司による思い付きのような始末書の提出指示(命令?)であれば、事実関係の報告書として記載すれば十分と書きましたが、上司にあなたに対する何らかの不当な意図がある場合でなければ、遺憾の意程度は示しておくことも大切かも知れません。

始末書の原因となった問題の事実の重大性の程度にもよりますが、上司はすくなくとも気分を害していることは確かなのですから、そのようなときに、事実関係を淡々と報告するような、見方によっては他人事のようにとられかねない報告書としてしまうことは、上司の心証を悪くすることが十分に考えられるからです。ですが、あなた自身がその問題の原因を作った、いわば責任のある立場とは言えない状況で、軽々に反省の意や謝罪などを記載することも、適当とは思えません。そうした意味でも、遺憾の意、程度が妥当ではないかと感じます。

そもそも始末書は書くべきか

問題の事実関係に対して、上司からの求めに応じて始末書を提出した場合に、考えなければならないのは、評価に対する影響でしょう。これについては、その始末書が、どのような取扱を受けるのかを考える必要があると思います。つまり、誰がこの始末書を受け取り、誰がこの始末書を見るのか、誰がこの始末書を管理するのか、ということです。

書面にすることは、事の是非はともくかく、あとあとまで残る可能性があるという意味では、口頭での報告と比較しても大きなリスクがあると言えるでしょう。現状ではさしたる影響がみられないとしても、何かをきっかけに、この始末書が何らかの意思決定に影響を及ぼすことも考えておくことが大切ではないでしょうか。

そうした意味では、懲戒処分とは判断できない始末書の提出を求められた場合には、これはもちろんケースバイケースで判断しなければなりませんが、やはり提出すべきではないでしょうか。ただし、表題は始末書とは書かずに、顛末書とか、あるいは報告書などとして、問題の事実関係を淡々と書くこと、そして、「遺憾の意」を申し訳程度に書いておくことで、無責任のそしりを免れる、という方便も許されるのではないでしょうか。

始末書を理由に不利益な取り扱いを受けた場合

そのような慎重な対応をしていたとしても、例えば人事考課などの場面で、君は始末書を提出している、などと指摘してマイナスの要素として勘案されることがあるかもしれません。このような場合に重要なことは、始末書の提出が、懲戒処分ではないこと、また提出した始末書は、上司の指示に基づく事実関係の報告書であって、始末書の提出の有無が人事考課に影響を及ぼすことは不当であることな度を指摘しなければならないと思います。

もっとも、このような始末書の提出に対して、人事考課上などで不利益な取扱をするということは、おそらくは何らかの別の意図があると考えることが自然でしょう。そうした意味でも、その始末書の提出がなぜマイナス要素になるのかの説明を強く求めることが大切になってきます。

なお、始末書については、こちらのコラムもご参照ください