パワハラかどうかの判断に意味はない!?

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パワハラかどうかが分からない…?

ご相談頂くメールの中に、「パワハラかどうかが分からないので、解決行動を起こしていない」「パワハラであることが分かれば会社に解決を求めます」といった内容が散見されますが、問題の解決を求めるためには、問題として考えられる言動がパワハラかどうかが分からないための、解決行動に一歩踏み出せないとお考えのようです

パワハラかどうかの判断は、問題解決とは別の問題

そもそもパワハラの定義は抽象的で、その判断も流動的です。仮に誰かが問題の事実をパワハラであると判断したとしても、何を根拠に、どのような判断基準によったのか、そして、そのパワハラであるという判断によって、何ができるのか、何をするのか、ここが重要です。

例えば、会社がある特定の事実をパワハラであると認めた場合には、その事実が就業規則の懲戒規程に規定する懲戒事由に該当すれば、何らかの懲戒処分が検討されることになります。そうした意味では、パワハラの加害者であると指摘する相手に何らかの処分してほしいと考えるのであれば、会社によるパワハラの判断には意味があると言えますが、会社に対する責任問題に発展する要素ともなりかねないパワハラを、そう易々と認めることはありません。

むしろパワハラかどうかを問題にしたことが、逆に会社からパワハラではないという返答によって問題解決そのものがとん挫することも往々にしてあることです。

雇止めをパワハラである、と指摘することの問題

不利益な配置転換を命じられた、これはパワハラではないか、あるいは契約更新を拒否された、これはパワハラだ、と指摘されることもしばしばありますが、配転命令の問題は配転命令の問題として、雇止めの問題は雇止めの問題として解決を求めることが大切でしょう。

自分の言に沿わない配転命令を受けたことに対して、これは嫌がらせそのものであってパワハラだ、と言いたくなる気持ちも分かりますが、これがパワハラではないという結論になった場合、パワハラでないこと=適切な配転命令、であるかのような錯覚が生まれ、これ以上の問題解決が図れない袋小路に自分から入り込んでしまうことになります。

これは配転命令の場合ですが、配転命令の適法性は、業務上の必要性、不当な動機の有無、不利益の程度などの要素を考慮して判断がなされるという判例法理が確立しています。もし配転命令に問題があると考えるのであれば、配転命令そのものを問題にすべきものです。

また、雇止めについては、労働契約法19条の問題そのものです。

重要なことは「何を、どう解決したいのか」

もちろん、嫌がらせのように感じる配転命令を「パワハラだ」と指摘することが、全く無駄なこと、という訳ではありません。パワハラであることをどうしても認めさせたい、パワハラがあることを公言したい、という気持ちが大きいのであれば、パワハラであることを強く主張すべきでしょう。

ですが、配転命令を撤回させたい、という意向を持ちながら、これがパワハラではないか、と指摘することは、解決の方向性が大きくそれていることに気が付く必要があります。

配転命令の場合で考えてきましたが、問題はこれに限らず、何を、どう解決したいのか、をまずは考えることです。パワハラという言葉は、必ずしも必要がないことに気が付くはずです。

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